チルドレン/伊坂幸太郎
チルドレン
「5つの短編集」のような顔した長編小説。
それぞれのストーリーを短編として読み進めていくと謎がいっぱいなのに、どのストーリーもお互いにつながることで謎が解けていきます。
5つのストーリーは一見テーマも全く違う短いお話。
「銀行強盗」に「家庭裁判所のお仕事」
「身代金の受け渡し現場」かと思えば「家庭裁判所のお仕事」に戻り
最後は「決着」
どれもこれもテーマからは共通点が見えないですよね。
なのにどうして長編として成立するのか?
それは「陣内という一人の男とその周りのお話だから。」です。
人生って「一つの長い物語」っていう風に言うことあるじゃないですか。
でもこの小説を読むと、長い人生には必ず区切りや節目というものがあってそれを超えると、昨日までとは違う「新しいテーマ」の中で生きていくということに気づかされます。
例えば、「志望校に受かったから春からは高校生」となると人生のテーマが「中学生」から「高校生」に移り変わるわけです。大人になって振り返ってみると「中学時代は~」「高校時代は~」という思い出話をするでしょう。それこそが人生の中で移り変わっていく「テーマ」ではないかということです。
つまり、人生は長い物語だけどその生活の中での「テーマ」はどんどん移り変わっていくものだし、新しい挑戦をする機会は年齢に囚われずとも思いのほかたくさんあるんじゃなかな、とやる気を持てます。
陣内さんとは
先にちらっと紹介しましたがこの小説の主人公をあえて挙げるなら「陣内さん」だと思います。
私の第一印象は、陣内さんは、横暴で意味が分からないことをよく言う、という感じでした。
正直言って、私はあまり陣内さんのような人と上手にお付き合いできる気がしません。なぜかというと、お話を読んでる最中「さっきといってること違うじゃないか‼」とか「なんで”世界が俺のためにとまった!”なんていう変なこと思いつくんだよ⁉」とか突っ込みどころ満載過ぎて突っ込めきれなくなったからですね。
きっと陣内さんにそう言うと「お前なんかと”お付き合い”なんてするか」とか言われそうです(笑)
それでも、「イイところ」だってありますよ。普通の人にはできないようなことをいとも簡単にやり遂げてしまいします。彼は、自分の長所には気が付いていないようですが。
彼の友人には「盲目の永瀬くん」がいます。
彼は、永瀬君が「特別扱い」されるのが「ずるい!」といって不貞腐れたことがあります。「道に立ってるだけで5000円もらうなんてずるい!」と。彼ほど「普通」にふるまうなんて「普通」はできないです。
永瀬君もこの時のことを思い返して「あの時の陣内は、本当に、普通だったなあ」としみじみと言うことがあるそうです。
こんな風に「人と違う」ことを全く気に留めずに生きられるのはとっても強いですよね。ちょっと憧れています。
違和感
ストーリーを読み進めていくと、「違和感」がたくさんあります。
例えば「強盗は計画の欠点を指摘されたのになぜか嬉しそうだ」
「ジャズ嫌いの父親が大音量でジャズを聴いている」
「厳格で金持ちの父親なのにジャージで外出している」
「2時間もたつのに公園の顔触れは全く変わらない」
それはもうおかしなくらいに「違和感」がたくさんあります。
その「違和感」には全部理由がありました。物語の登場人物たちはこの「違和感」の正体を突き止めています。そして「奇跡」の存在に気が付くのです。
私たちの生活でも「違和感」を感じることありませんか?
その「違和感」の正体を自分で見つけることができたら、と思いませんか?
もしかしたらこの物語のように「奇跡」が隠れているのではないか?
そう思いませんか?
「違和感」を感じた時、その正体を突き止めようとしたと時、そこにあるのは「奇跡」じゃないかもしれないけれど、もしかしたら「奇跡」かもしれない。
この小説を読み終えて私は今、自分の生活の中で感じ取る「違和感」の陰には「奇跡」が隠れているのではないか?という期待に少し震えてます(笑)